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おはようございます。エフエム石川の木村です。
この地震防災フォーラムは今回が5回目ということでございますが、たまたま私は過去4回全てに参加しておりまして、つまり皆勤賞ということになるのですが、5回目にしてここでこうやってお話しすることになるとは考えてもみませんでした。
それくらい石川県というのはこれまで地震の少ない地域だったわけですけれども、そんな中で大きな地震が発生して緊急の放送をやるということで、いろんな不測の事態も起きたのですが、そんな中で、今までこのフォーラムに参加して話を聞いたことというのは生きてくる場面もありましたし、実際頭の中で分かっていても出来なかったこともありました。
今日は我々エフエム石川が地震発生当日に出来たこと、また反対に出来なかったこと、実際には出来なかったことの方がたくさんあったのですが、これをお話して行きたいと思っています。
地震直後からエフエム石川が当日とった対応を順番にお話していきたいと思います。
3月25日午前9時42分に地震が発生をしました。
私どもエフエム石川は金沢市内の中心部に近いところに会社があります。まず縦揺れがあって、それから横揺れが続きました、大体1分位横揺れが続いて、会社の書類の山積みからぱらぱらと1〜2枚書類が落ちるくらいで会社の中はほとんど被害はありませんでした。
すぐに技術の担当者が電波の送出に異常がないかを確認しました。
その後、第一報をどうやって入れていくか、これが重要なポイントになってきたのですが、この日は日曜日でした。
日曜日というのは私たちエフエム石川は非常に人員が手薄で、自社枠の生ワイドというのは土曜・日曜は全くありません。
そこで地震発生後、東京からネットしている番組に緊急割り込みの形で震度などのデーターを9時50分に挿入しました。地震震発生8分後となります。
これが石川県内での第一報だったのですが、すぐにエフエム東京からリポートをやってくれと要請がありました。
電話は輻輳し非常にかかりにくい状況になっていたのですが、私どもJFN系列局には内線システムがあって、キー局のエフエム東京との間でそのシステムを使って、打ち合わせとレポートの放送を実施することが出来ました。それが10時5分です。
これが全国に向けて私どもが地震の発生を報じた第一報となります。
このときに伝えることが出来たのはやはり“震度”と“震源地”くらいのもので、震源地の能登半島と金沢市は随分と距離があるため、その被害状況をまったく把握できていない中での全国へ向けての第一報でした。
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